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プリンリサーチ

40/100 『底冷え』(下)

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1211日土曜日の12時に、金子さんとコルネリさんとmado君は段ボールを、しわしわさんはミニキーボードとトロフィーを、辻井君はチェロを、私はギターを、それぞれ持って神保町試聴室に入った。

音楽と出捌けの確認のあと、1530分から最後の通し稽古。最初の『警備員たち』という負荷のあるコントを金子さんと辻井くんが完璧にやっていて、もう胸いっぱいになった。金子さんは警備棒の振り方が何度伝えても逆だったのに、当日にはすっかり理解していたし、辻井くんは何度言っても「フランシスマクドーマンド」のアクセントが違ったのに、揺るぎなく発音できる状態に仕上げていた。一時は演技以外の細かな舞台効果を使おうかという取り決めがいくつかあったけど、結局、25演目、94分の中で、照明の暗転明転は2回だけ、SEも『水場』のテープレコーダー以外は使わず、小道具も最小限にし、コントの途中で本当にドミノピザをオーダーするという所も含めてあくまでも人力で繰り広げるのがいいのではないかという事に落ち着いていた。公演が終わった今でもそれは賢明だったと思う。とにかく最後の通しで、初めて淀みなくできた、びっくりした。

一つ一つ確認しながら場を整えて、1730分にやっと休憩となり、開場まで、コルネリさん以外の5人でルノアールに行った。翌日の昼の回に見に来てくれることになっていたmado君のご両親から、

明日終わったら私たちシーシャを吸いに行くんだけどこない??」

という途轍もないLINEmado君に来て、もしmado君がいやでも、私だけでもご一緒したいと思った。

信じられないことに予約は3公演ともいっぱい。会場に戻ると、保証なき謎の発表に集ったハイパークリティカルな勇者たちが、それこそ葬儀のごとく言葉少なに俯いて待機していた。私たちは決められたシャツ姿になって、もう一度外に出て、円陣を組んだ。金子さんが「全国に行きましょう」と号令をかけてくれた。

コルネリさんの前説のとき、袖から少し客席を見たら、今回の出し物に限らず私が著しく影響を受けている黄倉未来君が1番前の上手の出張った席にいることに気付いて心底怯んだけど、ここまでやったんだから見てもらおう、これもまた一つの幸運、という意気込みだった。開演し、今思うとそりゃそうだが、コントはうけなかった。うけたのは、そこでうけるんかよ、という箇所だった。

終演し、もちろん3個くらいは意図しない手違いがあったものの、とにかくちゃんと最後までできて驚嘆した。お客さんを残してみんなで一目散に会場を出て、隣のちょっとした空き地で意見を言い合ったとき、そこの真隣が試聴室のトイレだったらしく、ちょうど用を足していた黄倉未来君に筒抜けで、未来君はこの話は聞いちゃいけないと思い、あるはずが無い「音姫」を探したらしい。金子さんは「全国にはまだ行けてないと思う」と言っていた。

1212日、私のアパートに泊まった辻井君と、朝から王子のビッグベンという喫茶店へ貸し自転車で行き、『個展』と『みやげ』について直し案を出し合った。(王子というのは私にとって東京の演劇の一つの聖地だった。もう一つは北千住だ。)特に『みやげ』についての辻井君の案はどれも面白かったが、途中で私が『バイキング』につなげてしまう(これがいわゆる回収・・・なのかもしれない)というエモ案を思いついてしまい、それにしようという事になった。それは『みやげ』の2(由美ちゃんと草太くん)が『バイキング』と同じ人たちなんだ、と思わせるような工夫で、それによって、『葬儀』の「高橋さん」の仕事はもしかしたら警備員なのかも知れないし、『魂のエスプレッソ』でハローワークに来ていた辻井はなぜかホテルマンにアサインされたのかも知れない、とも思われるような(稚拙な)オープンフォーム化だったけど、結局私はそういう(「取りようによっては」という)のが好きだからしょうがなかった。11時に会場に着いたらコルネリさんが来て、わたしからその直しを提案し、あの太陽のような笑顔で「いいと思う」と了承してくれた。

2回目の公演は13時で、私以外の5人が、「昨日より気が抜けているかもしれない」と言ってきたから、また円陣を組み、お前たちが今どこにいるのか、ここがどこなのか、今から何をするのか、「ホワイトライト・ホワイトヒート」ばりの痛烈な往復ビンタを見舞うことによって、思い出させてやった。

2回目は直した所もうまくいったし、副キャプテンの辻井君が全然ビブスを着られず、mado君演じる前田先生が「辻井、腕伸ばせ!」と言って着せつけてあげる、という最高なことも起こり、かなり良くなった。相変わらず笑いは控えめに感じたけど、終演後にお客さんとだんだん冷静に話せるようになってきて、聞くところによると、笑い声は少ないけど、実はずっと笑ってた、という人が多い、のを知った。

「何を言ってるの、気軽に笑えないようにしてるのはあなた達でしょ、ジョンのサンなんだからそうでしょ」という有り難すぎるフィードバックに、「でもやだったよ!もっと笑ってよ!!」と思ったりした。2回目の終演後、ドミノピザ飯田橋店の人が会場にわざわざ寄ってくれて「本当はもっと届ける時間とか合わせたほうがいいんですか?備考欄に書いときましょうか?」と言ってくれて、やっぱり本当はみんな世界を良くしたいんだなと気付かされた。

1530分から17時の最後の休憩になり、昼の回を見に来た没君も加わり、本当に最後の散歩に出た。途中で見つけた株式会社東京メダルという会社のショーウィンドウにたくさんのトロフィーが展示してあり、しわしわさんが「全然違う・・・」と茫然としていた。7人で神保町のタリーズコーヒーのオープン席でコーヒーを飲んだ。往来に大群が通り過ぎた時があって、没君が「これも『底冷え』かな」とか「そういえば新幹線も混んでたな」とか言ってくれた。みんなこの時はまだ口々に「あそこの部分をこうしては」という話もしていて、いよいよあと2時間もすればその話をしなくなりますね、みたいな感じ、本当に部活の引退と同じだった。

最後まで試聴室の根津さんは予約の計算が合わず「俺はもうだめだ」みたいなことを超ハイテンションで言ってた。この人の仕事はこれで、私たちはコントだ。最後の回が一番(いろいろやってる)知り合いが多かったが、(さすがにもうどうでも良かったけど)まじで一番笑いが起こらなかった。なんなんだよ。でも本当に私たちは完璧にできて、やり残しなし、曇りなしの『底冷え』で終幕。

あとから聞いたところ、しわしわさんの天童は最後の「スプリングりょう」をやったら終わってしまうから、やらないで止まったままになろうかと思ったらしい。金子さんはさすがって感じで、帰りに「さみしい!せつない!」ばかり言ってて、わたしも言いたかった。本当にお別れ。もうこの6人で会うことはないかもしれないし、ましてや、わざわざ集まって「ノームチョムスキーは、プリファブ・・・。」とか「But nice hotel.」とか「地区はどうなるのさ?」とか「(上!)(上!)」とか「クラブ?行けるよ!毎日遊ぼ!」とか「甲!乙!4番!」とかみたいな節操のない言葉を言い合ったりはしないんだろうけど、そんなような事は6人それぞれちゃんと真面目にやっていくべきだと思う。

1213日、普通に出勤、仕事はちゃんとしたけど、完全に空洞。夜、オダウエダが、11月に見たハツの就活でthe W優勝、らしいけどそれすら見れなかった。

1214日、急に気温が下がった。会社の屋上の喫煙所で他部署の吉山さんが、

今日ほんと寒いですね。おれ横浜なんだけど朝雪降ってましたね、うち、外より寒いんですよねー。」

と言ってきて、まだぼんやりしている私は最後の遊び心を振り絞って

「底冷え、っすね」

と言ってみたら、吉山さんは当然

「うん、そうだねー!」

としか言わなかった。

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# by puddingreseach | 2021-12-17 01:27

39/100 『底冷え』(中)

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 最初にzoomで台本を読んでみたとき、セリフを言わないといけないのが本当に恥ずかしいというかつらかった。今回はそれをがんばってやってみようという話なのに。そのうえ、ト書きばかりの台本だったから、なんて言えば良いかわからない、と戸惑う時間が多くて「じゃあ次までにいったん全部セリフで書いときます」と言って、また書いて書いてをした。次の練習で、今度はセリフが多くなったことで、自然な会話にならないし、まじでつまらなくなった。セリフの言い方を知っている役者の人やお笑い芸人の人の凄さを痛感した。

でもまず『バイキング』で少しやり方がわかった気がした。①どういう事を話すか、②起こる出来事の順番、③その時それぞれの登場人物がどういう気持ちなのか、だけ決めて、実際にどんな言葉を出すかは全く決めずにやってみたら何か初めてうまくいった。みんな大笑いしながらやってたから。それはバンドとまったく一緒だった。私たちは譜面を使わずに(読めないし)、あとメロディーも「ドレミファソラシド」に直せないままずっとやってきたし、新曲はいつもコードと歌詞だけを書いて配って、歌のメロディーやリフみたいなものは口伝てに伝えるだけでスタジオでやってみて、ライブなど人前でもそれをなるべくそのスタジオの感じのままやるようにしていたから、とにかく今までやってた音楽と同じだと思うべきで、そしてその(決まっている要素が少ない事による)不確実性のかわりに、「何をどう言うか」はその時々でみんなが(批判的に)本気で考えるようにすれば良いんだなと確認できた。

 1010日の朝9時から、高円寺の区民センターで初めて対面で稽古をした。その時は「稽古」という言葉は憚って使っていなかった(いまはやむをえず使ってる)けど。私たちはコルネリさんを中心として「柴の戸」(しばのと)という会(会則は私が書いた)で区民センターを利用しているのだけど、その日に隣の部屋を押さえていた団体が「クリスタルドラゴン」という名前で、負けたくないな、がんばろう、と思った。その日の帰り道に金子さんに厳しく注意された。このままでは『底冷え』は長くなるし、練習も長い(たしかに帰ってたのは18時くらいで全員満身創痍だった)から、大幅に削ってください、ちょっと直すんじゃなくて3本くらいやめるべきです。私は1番長いけど個人的に気に入っていた『バンド名』をまずやめようと思って削除した。

1024日に冨田さんからメールが来て、先に書いた『魂のエスプレッソ』が添付されていた。最初、きついなと思った。「性器」とか「うんこ」とかすごい出てくるし。そんな言葉をバンドで扱ったことがないし、自分はバンカラ達を木陰から覗き見ている(大阪のゼロ世代とかにも正直アレルギーがあった、和田ロッカーズは好きだったけど)ただの坊なので、芸術でも日常でも、そういう言葉を普通におぞましいものとして敬遠していたのだ。ところが、そのコントをコルネリさんは最初に読んだ時から面白いと思ったらしく、zoomでしわしわさんとコルネリさんと金子さんにやってもらったら、本当に可笑しくて、辻井くんとmado君と私でずっと笑っていた。おぞましいどころかむしろスタイリッシュで青空のようにすんとしていた、なんなんだ。しわしわさんも金子さんもやりやすかったらしい。

1030日はコルネリさんの部屋で稽古(辻井君だけzoom)、この時初めて、『部活』でしわしわさんが演じる天童の、秘技「スプリングりょう」を見せてもらって、近所迷惑じゃないかなと心配になるほどに(この人はやっぱり天才なんだなと思いながら)全員で爆笑した。しわしわさんは常に発火点となり、私たちを先頭で引っ張っていた。

11月は金子さんが映画で忙しくなったり、しわしわさんとmado君はそれぞれの音楽で余裕がなくなったり、コルネリさんは企画を2本やったり、私は家族の事で大変になっていたり名古屋で別のライブをしたりと『底冷え』から離れがちになる時期だった。でも私は金子さんとお笑いのライブに行ったり、コルネリさんとライブ(しわしわさんが消極的レジャーとして、mado君がソロとNCとして出た)を見に行ったり、その合間で参加できる人とzoomでコントをやってみたり、しわしわさんに、私の台本の直しかたが説明過多の改悪であるとびしっと指摘して(こわかった)もらって嬉しくなったりした。

125日に辻井君が日帰りで東京に来てくれて、初めて全員で阿佐ヶ谷のzotに入った。6時間の練習でやっと全体が見えて、面白いんじゃないかと思った。そしてコントと一緒にやる音楽は間違いなくいつもより良く聴こえた。帰りにみんなでサイゼリアへ行って、満員だった。待ち時間に、本番で着るシャツの色を決めた。

126日に試聴室で照明、小道具、舞台装置の確認と、ついでにだらだらだけど通し稽古もして、冨田さんとてんこまつりさんに見てもらった。mado君が作曲したピアノ曲『底冷え』も初披露され、素晴らしかった。冨田さんは『バイキング』の事を少し言ってくれた以外は褒めてくれなかった。それには、特にしわしわさんが食らっていた。

演技について冨田さんが意見を言ってくれた時に、コルネリさんが「私はもろにガラスの仮面の影響を受けてるんで」と彼女の(演技の)アイデンティティーを説明していて面白かった。その数日後に冨田さんは芝居に関して、特に「何をしているかはわからないけど何かをしている事」や「役になりすぎず自分が自分のままでいることで情報量が増えるという方法」を丁寧に具体的に解説したメールをくれて、私は勉強になったし、むしろ自分たちはそれを音楽でやった事があるな、これならできるかも知れないな、と思った。この日に、辻井君が革命的な団長として大活躍するコント『合唱団』を、90分あまりの出し物全体から見た関係の問題でカットしようか、という案が出始めた。通し稽古を見たてんこまつりさんは深夜に連絡をくれて、とにかく全部面白いから何もカットしないで欲しいと言ってくれた。それが私たちにとって初めての他者からの肯定だった。翌日『合唱団』のカットが決まった。

ぎゅっとして言ってしまうと、「どうなるか本当にわからない事をするのだ、私たちは。6人ともわかっていない。雀の涙のようなミクロの予想を立てる事しかできないのだ。」という気持ち、こんなのバンドをやり始めた以来、もっと言うとバンドの音楽を初めて誰かに「良いですね」と言ってもらえたその一つ前の瞬間以来の状態だった。この感じこの感じと思った。

1210日、開演前日、再びコルネリさんの部屋で集まって、最後は楽しく稽古をした。この日は『水場』で使うテープの録音もした。みんなで動物の鳴き声を録っているとき、私はこれをずっとしていたいと思った。翌日の持ち物を確認してコルネリさんとお別れし、駅までの道で、辻井君が金子さんに「川合俊一のテレビショッピングはキャスティングミス」と話しかけ、mado君がしわしわさんに「ここってホープ君前ですか?」と話しかけて、それぞれ最後のおさらいを始めてしまい、仲間外れになった私は、あと2日で全部終わってしまうのだなと思った。

そして12月11日の朝5時に、しわしわさんが、最重要小道具である「トロフィー」を完成させ、画像を送ってくれた。ぐっすり眠らせてもらっていたしわしわさん以外の5人が、LINEグループで、大化の改新でも起こったかのように沸き立った。




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25 バンド名

5人で集まってバンド名を決めている

しわしわはまだいない

立石「今日は先にもう名前を決めちゃおうと思ってます。そのほうがやる気が出るんじゃないかなと思ってます。」

コル「はい」

立石「これから、ちゃんとスタジオに入ったり、オーディションに応募したりするときにどうせいると思うし」

辻井「スタジオに入るのにバンド名いるの?」

立石「もし聞かれたときに答えたいから」

立石「全然思い浮かばないから、なるべく案を出してほしいです。お願いします。」

立石「なにかないですか」

金子「じゃあ目に映るもので言っていいですか?壁」

(誰かがホワイトボードに書く、もしくは、PCで書いてそれがプロジェクションされているなど、小道具次第)

立石「はい、壁」

金子「ぽちゃっこ」

立石「はい、ぽちゃっこ」

金子「三越」

立石「三越」

金子「レーヨン」

立石「レーヨン、レーヨン?レーヨン」

金子「プッカ」

立石「プッカ」

金子「カラダ健やか茶ダブル」

立石「カラダ健やか茶ダブル」

立石「いいね、はい、あとは、無いですか?」

立石「無いものでもいいよ」

金子「無いものですね」

コルネリ「無いものか」

立石「でも難しいか、言いづらいよね、バンド名のアイデアだと思って提案するの地獄ですね」

mado「うん、しりとりしながらとかですかね」

立石「そうだね、そうやって出そう」

金子「しりとりしましょう」

立石「じゃああいうえお順で金子さんからで、金子、コルネリ、立石、辻井、madoで、しりとりしていきましょう」

金子「はい、何からいきますか?」

立石「じゃあルール決めさせてください。好きなものしか言っちゃいけないしりとりにしましょう。そのあとになんでそれが好きかを説明することにしましょう」

辻井「好きなもの」

立石「とにかく説明できればいいです、あと、2文字のしりとりにしましょう」

金子「2文字?」

コルネリ「2文字ってどういうこと?」

立石「言葉の最後の2文字でしりとり、で、好きなものを言っていくってことです。例えばしりとり、なら、り、じゃなくて、とり、で始まる言葉です、無い言葉でもいいです、好きなら、説明できるなら」

金子「じゃあ金子からで、何からいきますか?」

立石「じゃあ、三越、の、こし、からでお願いします」

金子「じゃあ、すいません、こしうどん、でお願いします」

立石「こしうどん、好き?」

金子「好きですね、こしがあったほうがいいから好きです」

立石「こしうどん、次、コルちゃん、どん」

コル「どん底」

立石「僕も好きだわ、好きなの?」

コル「どん底、はつらいけど、でもその良さもある、という事で好き」

立石「そうだね、わかります、じゃあコルネリ、のあとだから立石ね、ぞこね」

辻井「ぞこ?」

コル「あ、ごめん」

立石「ぞこは、ちょっと、そこにしてもいいですか?さすがにそういうところだけは直していいですか?」

コル「うん」

立石「そこ、底冷え、緊張感が出て好きです。頭がより働く気がするから、底冷えしててほしい」

辻井「びえ」

立石「ひえ、とか、ぴえ、でもいいよ」

辻井「びえ、ひえ、ぴえ、ひえ、じゃあ、冷え性」

立石「なんで?好きなの、ほんとに」

辻井「俺の彼女が冷え性だから」

4人 ヒューヒューみたいな雰囲気

立石「彼女が冷え性で、辻井君は彼女が好きだから、冷え性も好きってことね」

mado「消火器」

金子「いいですね」

立石「いいね、僕もめっちゃ好きだわ、madoくんはなんで好き?」

mado「火を消せるから」

4人 笑

mado「あと、固い」

立石「火を消せるし、固いところはいいね、いいです、かなり出てますよ、金子さんに戻ります、消火器だから、かき、です」

金子「じゃあ、カキフライですね、まじで好きです」

立石「カキフライ、なんで好きなの?」

金子「おいしいですね、カキが本当にすきだし、カキフライはなおさら好きで、よく食べます」

立石「金子さんは、さっき、こしうどん、で、2周目で、カキフライですね、意外と金子さんはそっちに偏ってますね」

金子「ほんとだ」

立石「次は、コルちゃんで、らい」

コル「らい、らい、来客」

立石「いいですね、好きですか?でもいやなときもないですか?」

コル「やっぱり来てもらえると嬉しいから、来客は好き、来てほしいと思う」

立石「きゃく、さっきのルールで、ぎゃく、とか、ギャグとか、きゃぐ、でもいいです、次は、僕か、じゃあ、脚力、脚力はかなり重視してます。僕は走ってるし、脚力を本当につけたいと思ってます、次は辻井君で、りょく」

辻井「りょく、うーん、緑地公園」

立石「好きなの?本当?」

辻井「好きだよ。気持ちいいから好きだね」

立石「えん、です。普通のしりとりなら緑地公園はだめだけど、えん、だから大丈夫です、madoくん、えん」

mado「塩素」

立石「なに?」

mado「塩素」

立石「ああ、いいね、なんで好き?」

mado「塩素は、匂いがたちこめるところとか」

立石「プールとかね、好きだわ。 で、んそ、だから、こうなると、もう終わりです。最後から二番目がんだと、もうだめです」

mado「あ!」

立石「でもいまのでちょうど2周だから、大丈夫。10個でました。もう少しやりたいです。次は嫌いなので、逆回りしましょう、madoくんからで、じゃあ、さっき金子さんが言った、レーヨンの、よん、で」

mado「はい、よん、よん、四足歩行」

立石「四足歩行、四足歩行が嫌いってやばくない?こわいね」

mado「あ、嫌いなものか」

立石「四足歩行が嫌いって、人間様ってかんじだね、やばいね、嫌いってことでいいの?」

mado「あ、でも、俺が四足歩行になるとしたら、動きにくいから、嫌い」

立石「確かに、今なりたくはないっていう、嫌いね」

mado「そうそう」

立石「じゃあ、こう、で、逆だから、辻井君」

辻井「こう、こう、後悔、かな」

4人笑

立石「かっこいいな。さすが漢辻井だね。後悔きらいなんだ」

辻井「やっぱり後悔はしたくないね」

立石「じゃあ、僕だから、かい、かい、解約、だね、できないから、するのほんとにめんどくさいし、そういうの調べれないから、入口はどんどん入るけど、出口見つけるのはできない、いっぱい入っちゃってる、やく、コルちゃん」

コル「えー、じゃあ、薬物反対」

立石「薬物反対、が嫌いなんだね、なんで?」

コル「やっぱ薬物を使ってたってだけで、悪い人扱いされるのは、おかしいと思う、ピエール瀧とか」

立石「そうだね。じゃあ、薬物が好きなんじゃなくて、薬物反対が嫌いってことだね、薬物反対、たい、たいで、金子さん」

金子「はい、たい、じゃあ、大衆」

コル「体臭?」

立石「厳しいね、体臭がきらいなの?」

金子「はい、嫌いですね」

立石「ああ、大衆か」

金子「大衆です、大衆は嫌いですね」

立石「パブリックのほうの、大衆ね」

金子「そうです」

コル「びっくりした」

立石「じゃあ、しゅう、で戻って、madoくん」

mado「就寝」

立石「就寝、寝たくないってこと?」

mado「そう」

4人笑

立石「修学旅行みたいなことね、たしかに、嫌いだね、しん、で辻井君、でもちょっと待って!!これずっと、来客からずーっと、漢字になっちゃってるよ、しかもふーふーみたいな音読みばっかり、そろそろ変えたいね、大陸言葉ばっかりになってます。辻井君、しん、お願いします」

辻井「シンコペーション」

立石「嫌いなの?好きそうじゃん」

辻井「うん、なんかどういうことなのかよくわからないから、嫌い」

立石「シンコペーション、ション、で僕ですね、ション、ション、ちょっとずるして、ショーンにするのいい?ショーン・ペン、嫌いです。ずっと威張ってるから」

辻井「ショーン・ペンってなんだっけ」

立石「俳優」

辻井「何に出てる?」

立石「僕が一番好きなのはミスティックリバーで、すっごい良い俳優だけど、でも普段ずっと威張ってるから、やっぱり嫌い、はい、ぺん、ぺんだから、漢字になる心配はないね、コルちゃん」

コル「ペン、ペンタブ」

立石「ペンタブってなに?」

mado「なんかアイパッドとかのペン」

立石「あー、なんで嫌い?」

コル「高くて買えないから嫌い」

立石「高くて買えないと、嫌いになっちゃうんだね、タブ、金子さん」

金子「たぶ」

立石「タフでもいいです」

金子「タフネス」

4人笑

立石「わかるけど、嫌い?」

金子「絶対いやですね。タフネスは嫌いです」

立石「タフネス、ネスで、madoくん、ちょっと、あるものが続いてるから、ないものでも良いよ、ってことだけ、お願いします、ネス」

コル「ないもの」

mado「はい、じゃあ、ネスクッカー」

金子「え?」

立石「ネスクッカー?」

金子「あるんですか?」

立石「それあるの?ないの言ってくれたの?どっち?嫌いなの?」

mado「はい」

辻井「使いづらいよね」

mado「使いづらい」

3人笑

立石「え?あるの?」

金子「ネスクッカーに一致する情報は見つかりませんでした、って出ました」

4人笑

辻井「あとさ、高いよね、消耗品のわりに、高いよね」

mado「高い」

立石「クッカーなのに、消耗品なの?」

mado「あれは、色々なものに混ぜて食うんですよ」

立石「ああ、だから、クッカーだけど、消耗品なんだね、じゃあ、もう、無いものだけにする?無いものだけってすると、またうまくいかないのかな」

mado「うん、そうかもしれないですね」

辻井「でもいいよ、やってみよう」

金子「はい」

コルネリ「ないもの」

立石「じゃあ、もう一回り、無いもの限定で、最後もう一回madoくんまで回そう、じゃあ、辻井君で、カー」

辻井「カーゴ、カーゴ」

立石「いいよ、カーゴ?」

辻井「カーゴパスタ」

立石「カーゴパスタ!でもさ、ネスクッカーのあとだから、食べ物に引っ張られてない?ちょっと逃げてない?」

辻井「そうだね!だめだね」

立石「ここから食べ物以外にしてもらっていいですか」

コルネリ「食べ物以外で、ないもの」

辻井「カーゴ、カーゴルール、」

立石「カーゴルール、いいね、なんで嫌い?」

辻井「あのルールは、抽象だから、守りたいけど、守りにくいから嫌いだね」

立石「ルールがあるのに守りにくいのはきついね、ありがとうございます、ごめんね、普段ならパスタでもよかったんだけど、ルールにしてもらいました、じゃあルルになるのかな?ルーにしてもいいですか?」

辻井「いいよ」

立石「ルー、ルー、ルー、」

金子「ちょっとタバコ吸っていいですか?」

立石「いいよ、ルーム、ルームマイスター」

辻井「いやだね」

立石「なんかすごい偉そうなこと言ってくるからね、なるべく頼らない様にしてます、ターです、コルちゃん」

コル「ターザン割れ」

立石「ターザン割れ、え?まえ好きって言ってなかった?嫌い?」

コル「やっぱ痛いから」

立石「その割れなんだ、ターザン割れ、われ、金子さん」

金子「はい、割れ鉢」

立石「いいね、割れ鉢、嫌いなの?」

金子「すごい嫌いですね、割れ鉢を美しいものとする風潮が嫌いです」

立石「じゃあ最後、madoくん、ばちか、はち、で嫌いなもの、お願いします」

mado「はち、はち、八人のサプライヤー」

立石「八人のサプライヤー、七人の侍みたいなやつかな、嫌いなの?」

Mado「あれは、やっぱ、6人しか出てこないのに、八人って言ってるところが」

立石「6人しか出てこないんだ、そういえばバンドも僕たち6人だから、8人のサプライヤー、いいかもしれないね、これで全部でました」

金子「いやあ、ネスクッカー強いなー」

しわしわ登場

しわしわ「すいません、結局こんなに遅くなってしまいました」

5人、しわしわが来て喜ぶ

立石「大丈夫だよ、じゃあ、ここから、いよいよ投票で決めます」

立石「じゃあ、それぞれ、ここまででた21個の中から、良いと思う1位から3位までを、この紙に書いて投票してください、1位が10点、2位が6点、3位が3点のF1と同じ点数で、合計で1番になったものに決めます」

しわしわ「はい、わかりました、この中からですね、おおー」 

投票、集計終わり(紙に書いて丸めて集めるなど)

コルネリ「決定しました、発表します、1位、22ポイント、割れ鉢です。」

全員「割れ鉢」

辻井「ちょっとトイレ行ってくる」

辻井、退室

金子、本気で落ち込んでいる表情

立石「いや、良いと思うよ。僕も入れたんだけど、ほかに誰が入れてた?」

コルネリ「えー、草太くんと、しわしわさんと、辻井君です」

立石「あ、しわしわが入れてるのはいいね、しりとりにいなかったから、ノリを知らない人が客観的に入れてますね、一つ心配なのは、割れ鉢のことを、金子さんが嫌っているっていう事ですね」

金子「割れ鉢!きらいです。」

全員無言

しわしわ「きらいなんだ」

立石、調べて、「ちょっと、あるんだね、すみません、検索してみたら、こういうものが割れ鉢なんだと知りました。こういうのの事を指すんですね。

もっと広義の、割れた鉢のことなのかと思ってました。」

全員無言

立石「すみません、意見を聞かせてください。

1. それでも『割れ鉢』とする

2. 2位だった『脚力』とする

3. 『割れ鉢 / 脚力』などで中和する

4. そのほか」

しわしわ「4、そのほか、で、割れ鉢の脚力」

立石「そうなると『ガソリンの揺れ方』とか、『アボカドの固さ』みたいで、避けたいです」

しわしわ「なるほどね」

しわしわ「我々鉢はどうですか」

立石笑

辻井携帯を見ながら戻って来る「割れ鉢めっちゃキモいじゃん!ないものだと思ってた。」

金子「割れ鉢、キモすぎなくて嫌いだったのに、あるし、嫌いです…」

立石「割れ鉢に入れた、僕たち3人が、割れ鉢をなしにして、再投票する、というのはどうですか?」

辻井「再投票にしましょう」

立石、しわしわに向かって「それでも「割れ鉢」に入れる、というのありなので、悪いけど、もう一回書いてください。」

しわしわ、立石に向かって「わかりました、割れ鉢をやめて、後悔、に入れようかなと思ってます。」

投票終わり

しわしわ、立石に向かって「ところで、これって、なにを決めてるんですか?

コル「決定しました、発表します、審議、再投票により、1位、19ポイント、底冷えです。」









# by puddingreseach | 2021-12-15 02:26

38/100 『底冷え』(上)

辻井君と2人で白く燃え尽きた難波ベアーズから2年が経ったあと、一つ良い事があった。
いくつかの場所でコルネリさん、mado君、しわしわさんと会うと、「近いうちに散歩でもしながら遊びましょうよ」というような話をちょくちょくしていた。まず2021年2月、横須賀の飯島商店でのライブに出演させてもらった日に、しわしわさんが朝からついてきてくれて、その4人で大きいハンバーガーを食べたり、離れ島へ行くフェリーに乗るかを迷ったけど乗らずに芝生で昼寝をしたりした。しわしわさんはその日、コテで前髪を巻こうとして失敗しておでこを火傷していたが1日にこにこしていた。mado君はその日初めて「キーボードを担当する、しかも自分の音だけずっと異常にでかい」という事に挑戦した。次は6月に4人で大塚へカレーを食べに行くことになった。私だけ閉店時間に着いたので食べられなかったが、そのまま大塚をぷらぷら歩いてはおにぎりと餃子を買って、公園で長めに遊んだ。お山の遊具の上で喋っていたら、ふもとのベンチのところでお笑い芸人と思われる3~4人がコントの練習をしていた。あとは「mado君が演劇部で鉄コン筋クリートをやった」という話になったりして、雨が降ってきて帰った。8月になると、コルネリさんが「今年中に4本企画をする、併せて助成金の申請もする」という話を教えてくれて、その中の一つでジョンのサンが演劇かコントをやってはどうですか、と提案された。曲みたいにアーカイブされずにすぐ消えてしまうもの、別の言い方をすると、「そんなことをやる時間があったら曲をつくったりレコードをつくればいいじゃないですかバンドなんだから」と言われそうな活動にずっと憧れがあった私は、そういうことは絶対やりたいです、助成金が出ても出なくてもやるという事で決定でお願いします、と約束(即答できたのも私には辻井君という一人のメイトがいたからだが)した。その数日後、コルネリさんが、大塚での会話を思い出してか、しわしわさんを誘うっていうのはどうですか、と言ってきて、それはすごくいいね(前年に私が一番聴いた曲はMac Millerの『Good News』だったけど、一番聴いたアルバムはしわしわさんの『I'm here』だったから、お芝居要員としてだけではなく、もしかしたら音楽も少しやってもらえるかもしれない)、と思った。
その話が始まってから1週間くらいの同じ8月に、没君の企画で、CQ Crewというかっこいいラップグループと、金子由里奈さんが出るというライブが、神宮前のbonoboであった。そのあたりの路上で展示が一杯やっている時期だったので、金子さんの演奏を見たあとしばらく外を周って絵やインスタレーションを見ていた私が会場の入り口に戻ると、ちょうど金子さんが出てきて「散歩しましょうや」と言ってきたから、私は「今行ったばっかりだけど行こう」と言った。ついさっき見てきたばかりの展示を金子さんにも見せようかということになり二つくらい見せた。その途中で金子さんは「わたしはくすぶっている」とかいう話をしてきて、どこがだよ映画も本当に面白いし大活躍じゃんと言い返させてもらったけど、そんな風な、「最近の活動」みたいな会話になったことだし金子さんと私は仲が良いからつい口を滑らせてしまい、バンドで演劇かコントをやるという事を(コルネリごめんと思いながら)教えてしまった。金子さんは(いつもそうだが)驚くほどあっけらかんと「良いな!やりたい!」と言ってくれた。とにかくすごい事ができる人だから遠慮する気持ちもあったけどその言い方に「もしかしたら本当に思って言ってるのかもしれない」と感じ、コルネリさんに連絡した。
東京でやるというだけでも出ることがまれなのに、そこへお芝居の稽古が加わることで絶対負担がかかるから出られないであろうメンバー(神谷君、古賀さん、吉川さん)には連絡せず、企画者でジョンのサンメンバーもあるコルネリさん以外の、参加してくれるかもしれないメンバー(古池さん、さとぅー君、辻井君、mado君)には連絡し、出られるのは辻井君とmado君、という事になり、
金子、しわしわ、コルネリ、立石、辻井、mado
の6人で出演する、と決まった。
(mado君の演劇部の記憶を除けば)映像以外での演技の経験がない、という事と、音楽をやっている、という事が共通した6人だった。
最初の打合せで、演劇とするか、コントとするか、という話し合いをして、いくつかの理由を基に、「コント」ということに決めた。そのあとまず私が書きまくった。『警備員たち』『美容室』『個展』『なんの変哲もない』『葬儀』『バイキング』『リムヒッター、ハイハットクローザー、キャンター』『待ち合わせ』『ドリンクバー』『バンド名』と10本になったときに書きすぎだと気づいた。次にコルネリさんが『合唱団』というコントを1本書いてくれて、面白くて、たまらなく嬉しかった。mado君も『棒』『みやげ』の2本を送ってくれた。2月の横須賀で対バンして惚れてしまった冨田学さんにもメールをして、『魂のエスプレッソ』という、恐ろしい恐ろしいコントが送られてきた。
配役などの打合せを繰り返すうちに金子さんとしわしわさんも書いてほしいという気持ちが出てきて、お願いしてみたら、金子さんは「スポ根が足りませんよね」と言って、『部活』という、私には絶対できないような、ライトで格好いい連続ものをまとめて書いてくれて、しわしわさんは「すでに言葉が多すぎて吐きそうです」と言って(本当は言ってない)『水場』という動物たちがひたすら呻くコントを出してきた。
その頃(たぶん9月)に、もし今後、ジョンのサンのことを(もちろんありがたい事ではあるけど)何か「完全に無価値」に近いような言説であらわされるような事があったら、「確かにそうかも知れませんけど、あれは見てないですよね」と言えるくらいのものが、2011年の古書ほうろう、2019年のベアーズ、の後で、もう一つできるような予感がしてきていた。しかも友人との3回(もとはと言えばコルネリさんとも重要な散歩をしているし、『底冷え』当日に辻井君と爆走でサイクリングをしているのでそれもカウントしてしまったら5回)の散歩からできるんだなと思った。また行きたい。

https://soundcloud.app.goo.gl/o8XsfFsfwvsFskmN7



# by puddingreseach | 2021-12-13 22:47

19/100 最後の縮毛 その2

2004年11月私がいない間もジョンのサンはライブを続けていたし、私がスコットランドを出る直前に神谷と吉川さんがアイルランド旅行ついでに来てくれて、エディンバラでライブをやったりしたから、日本に戻ってからもまたすんなりバンドに入らせてもらう事ができた。それに、神谷と吉川さんと欣司はその年、3人ですごくがんばって、信じられない事にお客さんがちょっと増えていたり、ライブに誘ってくれる人脈が広がったりしていた。そしてこの頃のある日、クラブBLでライブしたあと、かおり君に話しかけられた。横でタピ君(結局今日まで一回もしゃべった事ない)が笑ってた。自己紹介されて驚いて、メールのお礼をした。その後にかおり君は私にこう言った。「やっと見れましたけど、アティテュードっつーか、感じますねやっぱ。」アティテュードは、当時の青臭い神谷と私が出さないように努力していたものの一つだった。何かバンドとかやってるんですか?と聞くとかおり君は答えた。「いやー、やってるけど、僕たちなんかほんとにジャンクなサウンドなんで。」本当に一切誇張せずに書いてて、こういうルー大柴みたいな話し方を平気でする人だった。かおり君はまだベジタリアンになる前で、今よりも太っていて、当時からアースカラーの服しか着ておらず、動じず、どぶにいるカエルのようだった。何て言うバンドですか?と聞くと、「あー、ジ・アクト・ウィー・アクトって言うんですけど」とはっきりした発音で答えて、私はまた驚いた。いわゆる青春の1ページの様な瞬間だった。話を戻すと、そもそも佐藤くんが私のアニマル・コレクティヴの説明を聞いてthe act we actの話をしてきたのは、「ギターの人(アヴィー・テアーじゃない方、パンダ・ベアー?)がギターを首からかけているだけで弾かずにずっと変な踊りを踊ってる」という部分に反応して、「the act we actというバンドのギターの人がギターを弾かずに、タンバリンを叩いたりシンバルを叩いたりしてるだけで、その人が見てて、何か違うっていうか誰からも歓迎されてないっていうか、面白い」っていう事だった。そして、私が初めてthe act we actを見に行った時、かおり君はギターを首からかけていて、一曲目がカウントされると同時にそのギターをくるんっ!と後ろに回してシンバルを叩き始め、ボーカルの五味くんにすぐ跳び蹴りされて吹っ飛んでいった。やっぱりこの人がその係だったか!と私は思った。その後、かおり君は私達に色んなバンドを引き合わせてくれたり、何故か古賀さんとかおり君が一緒に住むようになりその部屋で作曲や練習をさせてもらいその度にかおり君だけベランダに出て七輪で何かを焼いてくれたり、たまにバンドに入ってくれたりする関係になった。かおり君はわりと早めにthe act we actを脱退してしまった。企画をいくつかしていたがどれも進行が酷く、特に2006年の3月に行われたTRISTEZAのツアーの名古屋ライブは最悪だったようで、私は行ってないけど、会場の得三、前座の二組、その他いろんな方面から後から聞いたところによると、適当地獄で出演者同士も仲が悪くなって終わったらしい。 ライブは一秒も見ず運転と打ち上げに専念するローディーの名手として名を馳せた事もあったけど、ついに今はどこにいるかわからなくなってしまった。 でも現在もかおりインスパイアの人達は少なくなく、吉田松陰みたいな感じになってる。たまにそういう人から私に「今かおりさんといるんですけど来ませんか?論破したがってます。」という連絡が来る。だいたいその門下生みたいな人達は死んだ目をしていて、恐いから行けない事が多い。



# by puddingreseach | 2014-11-09 17:36

18/100 最後の縮毛 その1

2004年1月スコットランドで学校のプログラムが始まる3週間前に私はロンドンに着き、地下鉄に乗り、ウォータールーという駅(ミーハー心のみで選んだ)で降りてベッド&ブレックファストで一泊しその足でユーロスターに乗ってフランスのポワチエへ行った。ポワチエという都市は小さく、有名でもなく、中根さんという人がそこで勉強すると聞いた時には、黒人俳優のシドニー・ポワチエが地名を二つくっつけた変な名前であることを知った。アラン・レネの『24時間の情事』で、二つの離れた場所の隔たりについて連呼される、「ヒロシマ・・・ヌヴェール・・・!!」というのがそのまま名前になった様なものだった。くどいけど、船橋さんという人に娘が生まれて松江という名前をつけるようなものだった。ポワチエで中根さんと安くて美味しいものを食べて過ごし、スコットランドへ行く2日前に中根さんの親友で私も仲の良かったヨウコさんという人に会いにパリへ行った。パリを観光した後、ヨウコさんのアパルトマンでバンドの話になった。ジョンのサンは初ライブの芸音センターを除けばまだクラブBLでしかライブをしておらず、誰も知らないバンドだったのに、ヨウコさんは唯一の音源『ジョンのサンのミュージックステーション』をある別の友人に聴かせてくれていて、その人がその中に入っているラモーンズのdo you wanna dance?とルー・リードのsatelite of loveのカバー演奏を(ヨウコさんの期待通りに)気に入ってくれて、「連絡する」と言っているとの事を教えてくれた。本当にすぐ連絡をくれたその人は、私と同い年で、シカゴに行ってジョーン・オブ・アークと仲良しになってアルバムにもクレジットされているという物凄いステータス(現在となっては、その人の波乱万丈な人生の一つのフリとしてあるのみの話だけど)を持つ、鈴木香織君だった。メールにはこうあった。「ヨウちゃんから聴かせてもらいました。すごい良くて、普段どういうスタンスでやってるのかとか気になるんで、また日本に帰ってきたら連絡します!」このメールを読んで、自分のあまのじゃくを反省する気持ちと、メールって難しいものだなという気持ちと、なんかこの人いやな奴だろうなという気持ちが、3つ同時に私に沸き起こった。特にスタンスという言葉が気になった。音楽に関しては少しでも業界っぽい言葉が口から出てきたらその人の事を軽蔑する事にしてた。かおり君という人は前にも書いたけど、アーカイヴという言葉を、平等院ではなく、鳳凰堂のアクセントでわざわざ発音する人だった。いま思うと、メールだから発音とか無いけど、この時のスタンスは、トロントではなく、ベランダのアクセントで使っていたのだろう。とにかくそのようなネガティブな印象のまま、「ありがとうございます!!」というメールを返信して、私がヨーロッパにいた9ヶ月のあいだは、かおり君という人がいるという事をわかっているだけで特に何の事は無かった。2004年11月私が警察犬に必要以上にクンクンされながら帰国して、色んな友達と順番に再会していた時に、自主映画を撮っていた佐藤くんと飲みに行った。土産話の一つとして、私がグラスゴーにムームのライブを見に行った時に前座でやってるのを見て大好きになってその後のエディンバラでのライブも見に行ったアニマル・コレクティヴについて、どんなバンドかを説明した時に、佐藤くんは「よさそう!」と言ってくれて、「実はちょっとそういう感じかも知れないんだけど、草太くんに見て欲しいバンドが豊田にいて、スタジオライブとかやってるんだけど」とthe act we actというハードコアのバンドの事を教えてくれた。



# by puddingreseach | 2014-11-04 12:11

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