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6/100 デビュー

2003年夏
中京大学の学生達が主催したコンサートが今池の芸音(キノシタホールの地下)で行われ、ジョンのサンは欣司のコネで出させてもらった。
一年間練習してとうとう人前で演奏することになったので、私達は吉川家近くのガストで曲順を考えて、最初で最後になるかも知れないライブをどうやればいいか話し合った。
ちなみに私達はこのころから何かある度にこのガスト香久山店で話し合いをするようになり、紙ナプキンに色々なアイデアを書いて持ち帰った。スタジオに何回入っても進歩しなかったのにガストに行くと一気に動き出したりした。
また、ある若い男性店員の接客があまりに良かったため、テーブルを離れるとき紙ナプキンに応援メッセージを書き置きして、店の外からみんなでリアクションをこっそり見たのもこの頃だった。手紙に気付き皿を片付ける手が止まった時はワクワクした。そんな行いをしてる時も私達はあくまで下衆だったので、追伸で店長の悪口を書いて、ですよね?という風に同意を求めた。こうすることでこの手紙がバックヤードでこの店員さんの成功事例として公式に共有されることが回避され、手紙を宛先にだけ届けることができた。

この時の話し合いで決まったことは主に2つだった。
ノルマなどが無いし演奏にも自信が無いから、貢献するために友達をなるべく多く呼ぶこと。
ライブというものを履き違えてる人達みたいにするために4人ともが親を呼ぶこと。
私達は一出演者に過ぎなかったけど、このイベントを「ジョンのサンの授業参観」と名付け、舞台上手にそのように毛筆で縦書きしためくりを置いた。

私達の友人や家族で会場がいい感じに埋まった。
私の祖母は大きなつばつきの帽子に花柄のワンピース、ベージュのズックで登場した。
メロコアのバンドが主催だと聞いたけどその人達はトリで、一組めと二組めは皆スーツでビジュアル系のバンドだった。
私達は演奏後、オリジナルのポケットティッシュを配り、自作のTシャツを販売した。
曲はコピーばかりだった。
私の父は、「君達が一番クレバーだったね」と言った。
その日からまた半年間queに通って、誰にも見てもらわずに4人だけで過ごした。
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by puddingreseach | 2013-04-28 17:12

4/100 もう一人の縮毛

2003年1月

バイトしてた大須の古着屋(名物屋と向かいの昭和ストアー、この日は名物屋)の閉店時間、掃除をすませてシャッターを閉める。店でネコを数匹飼っているから、ネコが挟まってふぎゃらないように、ゆっくりガラガラ下りてくるシャッターを最後まで近くで見とくのがルールだった。
目の高さやや下くらいまでシャッターが下りた時に、自転車をひいてカメラを首から下げた女の子がこっちを見てた。この人はまだ店を見たいのかと思った私はシャッターを止めて、どうしました?と聞いた。
私はその人に、映画が好きかどうかを聞かれて、半閉まりの店からいったん外に出るよう頼まれ、焼きうどんを食べる真似をしてくれと頼まれ、カメラをまわされ、焼きうどんをおいしそうに食べる真似をして、こうですか?こうですか?と聞いた。
その人は、ハハッ!いいですねー!とすごい喜んでくれて、いま映画の学校に行っててそこの授業で映画を撮るための場所と人を探していることを教えてくれて、古賀と申します、と自己紹介した。私は連絡先を教えて、古賀さんはその夜のうちにスタッフの浅田君(のちのセンチュリーシネマ店長)、山本さんに相談したあと、私に「あなたに決まりました」と連絡をくれた。

その冬のあいだに映画「留守番電話の恋」は16mmフィルムで撮影された。古賀さんのマイペースな監督っぷりと急に妥協のない演出、毎朝吐血してから現場にくる撮影の浅田君のがんばりにすっかり感銘をうけた私は、演技はできないけど、とにかく気を使わせないように、なんでも協力するよという顔をしたり、構図がなかなか決まらない時などは短時間でもぐっすり寝て待って、ありがとう、おかげで寝れたよという顔をするなどした。
私は黒いトックリを着て、髪型は黒いマッシュルームだった(よくわからないけど男友達からはブチャラティーといわれてた)のだけど、その映画の役は喋る黒電話だった。
映画が完成に近づくころに、古賀さんが題字を良いフォントにしたいけど誰かいないかと相談してきたので、最高の人がいるよと吉川さんを紹介した。
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by puddingreseach | 2013-04-20 22:09

5/100 ジ・コアラに告ぐ

2003年春
シネマテークで深作欣二特集とエリック・ロメール特集が同月に行われて個人的に大混乱、翌月のフィリップ・ガレル新作『白と黒の恋人たち』の同じ回をたまたま見に来てた映画サークルの先輩の森下さんと今池駅を改札に向かって歩きながら「よかったけど何がよかったんだろうね」という会話をする。

得三でマキーラドーラ、ラブクライ、脳振頭のスリーマンを見たから初めて動く村上ゴンゾさんを見たのもこの時期で、私はほぼ一人で行動してたけど、流星(後のettとかteasiとかogstとかのメンバーがいた)というハワイアンバンドの追っかけをしててその時は神谷君と一緒だった。私達の頬は紅かった。Rovoのライブで山本精一に「踊らへんやつは帰れ」と怒られてラーメン大学で野菜ラーメンを食べたのも神谷と二人だった。
そしてジ・コアラ(リーダーの石田さんは現在ジェット達)がケンタウロスの格好で客に卒業証書を授与するライブを見て、言い様のない決意、強い決意をする。ライブ後、ジ・コアラの石田さんと小池さんに握手をしてもらって練習へ。

しかし練習はいつもの調子のまま(本当に悔しかった)で、少し変化があるとしたら神谷君と吉川さんが音楽の素養があるためちょっと色んな工夫ができるようになった事だった。それまでがジャーン、ジャーン、ジャーン、ジャーン、という16小節だったのが、この二人の進歩のおかげで、ジャーン、ジャッピロピロ、ジャーン、ジャッピロピロ、という風になった。とにかく私と欣司が何もできなくて、神谷君と吉川さんはちょっと色々できて和音の事とかもわかってる、2対2みたいな関係ができた。この辺から神谷君と吉川さんが少しずつ仲良くなってくるのだけどそれはまた別の話。

こうしてやってる練習と見てるライブの境界線を感じまくってた頃、私が2年、あとの3人が3年になり、4人の中で一番社交的で学校も元気溌剌で通っていた欣司がある案件を持ってきた。
中京大学の軽音のライブでビジュアル系のバンドに混ざってライブをさせてもらえそうだけどやる?という話だった。
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by puddingreseach | 2013-04-20 10:23

3/100 上社のマックの集客に反比例する、八事の人工芝の丈

2002年10月
私が通っていた愛知県立大学の学祭に出ようとして、でも曲の審査があったから地元のガレージバンド(こじんまりしたキングブラザーズみたいなの)のテープを自作だと偽って送った。バンド名が必要だという事で、ザ・ファイターズと命名。審査には落選し、バンド名もあまり気に入らなかったので、ザ・ファイターズの別の候補だったジョンのサンに変更した。

2002年冬
吉川さんがバイトしていた大須の昭和ストアーという古着屋で私も土日だけ働かせてもらうようになる。ジャック・タチの「ぼくの伯父さん」のオリジナルポスターが非売で置いてあるようなお店で、当時は安くて派手な服屋が多い大須で珍しい高めのおしゃまな店だった。また大須と言えばthe otherという1号店と3号店がサイケ、2号店がモッズ、しかしオーナー夫婦は学会員という店が幅をきかせてたり、松石ゲルさんのザ・シロップがまだバリバリやってたりと、60年代懐古っぽい雰囲気があって、そういうお客さんがついでにジムノペディアとかハレンチノとかと一緒に昭和ストアーに寄る、でも何か違う、というお店だった。
隣(いまモノコトがある場所)のcandyというアクセサリーを作って卸す会社には島崎さんがいて、脳振頭(現在ののうしんとう)とかチャイルドビームというバンドをやってた。
昭和ストアーとcandy の壁にいっぱいフライヤーが貼ってあり、暇なときに面白そうなのがないかスタディしてたら、一際輝くcanolfan(現在のparlwr)のイベントのチラシがあった。何か訳がわからないけど真面目な感じ、ブッキング担当の武村モモジという人の文章だった。
二十歳の私はcanolfanによくライブを見に行くようになり、ボランティアスタッフになった。
オーナーの新見さん、音楽イベントを取り仕切るモモジさん、カウンターのイチコさん、ツンとしてて終演後もサロン風にたむろするお客さんのお兄さんお姉さん、全てが怖かった。
その萎縮する私にあるイベントでそっと大判焼きを差し出して
「きょうおおばんやきかってきたから!」
と言ってくる外国人がいた。ショーン・ジェームス・シーモアだった。

2003年2月

欣司のドツタツに合わせて私がコードを弾くだけで神谷もルートを弾くだけで吉川さんもコードを弾くだけで曲はパステルズとベルアンドセバスチャンとヴァセリンズのみ、しかも私語もなく練習後は静かに帰るのみというバンドは面白かった(神谷は一生このままでいいと言ってた)けど行き詰まってきて、そろそろコピー曲のレパートリーを増やそうということでMDを4枚買ってそれに一人4曲ずつジョンのサンでやってみたい曲を入れて次の人にまわし、全部まわった時には16曲の候補曲が入ってるMDが4枚できるだろうからそこから決めようという事になった。
私は2002年の音楽で一番好きだったラルトラのin the afternoonというアルバムに入っているblack arrowとたまのかなしいずぼんを入れたけどどちらも採用されなくて本当に良かったと思う。同じく神谷君はRoger Nicholsのlove so fineと小沢健二の指さえもを入れてて、これも採用されなくて良かった。欣司は4曲入れる約束を破ってルパン三世のテーマを田中知之か小西康陽とかそんな感じの人がビートをつけてモンド風にリアレンジされた要するにくそ面白くないやつを一曲だけ入れてて、神谷にこれもやろうよとしつこく言われてたけど他の三人(欣司含む)が反対して却下となった。
結局採用されたのは吉川さんが入れたNino Lotaの道化師と、神谷が入れたWeather profetsのhollow heart、そして神谷が入れたApples in stereoのRubyの3曲だった。このうちRuby以外は10年経った今でもやっている。ただしhollow heartは完全に自分たちのものにしてジャスコシティアピタシティという名前の曲としてやっている。
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by puddingreseach | 2013-04-15 23:07

2/100 汗っかきのドラマー

2002年8月

3人で練習したあと、ドラムは誰がいいかという話し合いをしたのか、それとも元々決まっていたけどその日は何かの都合で来なかっただけなのか、ドラマーとしてやはり高校の同級生で中京大学の2年生だった青山君(通称欣司(きんじ)くん)を誘って、俺でいいの?という確認のあと快諾してもらった。
わざわざドラマーと書いているのは欣司がまさにドラマーだからで、私はギタリストではなく、神谷君はベーシストではないけど、欣司はドラマーだった。欣司がもしベースを担当したらベーサーだったんじゃないかと思うくらい、欣司はドラマーだった。ドラムが似合うと思っていたし、音楽に強い(屈折した)こだわりはなく、座らせてみたら本当にただドラムに座っているだけだった。
このようにして4人でバンドをやることになった。
欣司がドラム、神谷君がベース、私がギター、吉川さんがキーボードで、歌は吉川さんと私が担当した。
卒業してから1年半も経ってからこの4人がバンドをやり始めたという事は高校の友達にあまり知られていなかったし、もし知られてもなぜその4人?というようなメンバーだった。その4人で遊んでた訳じゃないし、吉川さん以外の男子3人で遊んでた訳じゃないし。
でもそれからは4人で色々な経験をすることになった。
海外での演奏からどぶさらいまで。

4人で最初に集まったのは吉川さんの家だったと思う。
昼間から何を話し合ったかは忘れた(コピーする曲の耳コピとメモをみんなでしてたかもしれない)けど、はっきり覚えているのは料金やアクセスなどから練習しやすいスタジオを調べて一番良さそうで当時の4人の住所(川名、本山、東山、日進、これだけでもいかに私達が山の手のきちんとした家で育てられたかが名古屋の方ならわかるはずです)の中間地点だった上社のque(キュー)というスタジオへ電話してその日の夜に練習する予約をした。ちなみにこの一個前に書いた(欣司抜きの3人で入った)スタジオは原のchargeというところで、高校の時にスクラッチゲリラマシンで利用していたからそこをとりあえず一回使っただけだった。とにかく私達はその日からqueに通いまくるだけのバンドになった。
スタジオに入ってやった曲は二曲で、パステルズのsomething's going onとベルアンドセバスチャンのwomen's realmだった。
欣司はドラムを少年ジャンプで練習してきてくれていた。ただ欣司のドラムは、どの曲でもドツタツドツタツ、つまりハイハットを1拍ずつずっと鳴らして1拍目にバスドラ、3拍目にスネア、という叩きかたしかできなかった。最初にqueに入った時から欣司が大阪へ去るまでの約3年間、 ずっとこれで通した。
この延々と続くドツタツ砂漠の唯一のオアシスは、欣司が袖で汗を拭く瞬間だった。
欣司は汗かきだったので、曲の途中で汗を拭く事がたまにあり、そのたびにドツタツのリズムがずれた。
この練習のあと、お金を割り勘で払って、こんな風でいいのかなと思いながら私達はバイバイをした。
この感じがここから1年続いた。
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by puddingreseach | 2013-04-13 14:07

1/100 神谷君

2002年7月末

一浪の大学1年だった私と大学2年だった神谷君とでロックフェスティバルを見に行った。

神谷君は高校の時から一緒にライブに行ったりしてた仲の良い友達で、中学の時はサッカー部だったらしいけど高校はテニス部で、私がいたサッカー部と神谷君がいたテニス部がたまたま両方自主練だった日にサッカー部対テニス部でサッカーをやった時などは、パスカットの名手として私達をうならせた。
シュタッ!「また神谷だ!」
シュタッ!「まただ!」
色白で天然パーマ、雨の日に部活帰りの神谷君を見ると昼間より髪が短くなっていた。
ちなみに神谷君は高校のとき彼女がいなかったけど、当時から現在の可愛い路線をとっていたのと私なんかよりもずっとオシャレだった(制服の白シャツの第一ボタンをとめていた)ので、隠れファンもおり、卒業式の日は、廊下で後輩にボタンを求められていた(いま思うとそれが白シャツの第一ボタンだったら面白かった)。
高校の時はスクラッチゲリラマシンというバンドに二人とも所属して、2年の時と3年の時の文化祭でメロコアの曲などをやった。神谷君がベース(現在も使っているヤマハの水色)、私はボーカル、他にギターの富増君、ドラムの人長君という4人で仲が良くて楽しかったけど、富増君が関西大学に入って自然消滅した。
私が大学に落ちて神谷君が大学に入ってからも、ありがたい事にちょくちょく「バンドやろうよ」と声をかけてくれた。南山大学だった神谷君は軽音楽部(最近知ったところによると4つくらいそういうサークルがあるらしい)みたいなところには入らず、吹奏楽部に入ってコントラバスを担当した。一度発表会を見に行った事があるけど、口を真一文字にして頑張ってた。

大学に入って二人でロックフェスティバルを見に行った。
バッファロードーター、バットホールサーファーズ、ソニックユース、デートコースペンタゴンロイヤルガーデン、井上陽水、コーネリアス、ゆらゆら帝国、ここまでは順不同で書いてるけど最後はスピリチュアライズドを見て、帰り道にレッドホットチリペッパーズがBy the wayをやっているのを右に見ながら素通りしてテントで寝て帰った。
帰りの車で神谷君に「バンドやろうよ」と言われた。
途中、もしかして新潟は名古屋よりCD安いんじゃないか?という話になってCD屋に寄り、そうでもなかったけど何枚か買った。私はゴーバンズのアルバムを買った。

2002年8月

同じ高校を卒業して名古屋芸術大学の2年生だった吉川さんを誘って3人でスタジオに入った。
その時やったのはパステルズとかベルアンドセバスチャンとかの曲だったと思うんだけど、私は安いエレキギターをコメ兵で買ったばかりで全然やりかたがわからないし、神谷君と吉川さん(この時はまだコルグのMS2000を買っておらず、スタジオにあるキーボードを借りてた。吉川さんは中学までピアノを習ってた)は1年の時に同じクラスだった割には全く喋らないから私が通訳をしたりとかで、ああバンドが始まった、という感じだった。
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by puddingreseach | 2013-04-12 23:05

valor食パン買い出しのはずがついでに欧州倶楽部で先に一個食べちゃうという

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/212268/178167/15760857

順番にソロをやった後、全員でクインテットをやった。
ソロ、私は一番手で、即興とかはやったことないけど誘ってもらった事が嬉しくて一生懸命考えて、ギターは持たず、実家からトースターを借りて、トーストを焼いて(会議用のマイクをアンプにさして焼ける時のガチャンという音を拾った)焼けたらバターを塗って食べるのを繰り返して、パンが焼けるのを待っているあいだはひたすら縄跳びを跳んでそのあいだだけ『バンド』という自作曲を歌った。20分の出演時間で0.5斤食べた。
西出さん、ゴンゾさん、ティムさん、フロックさん、ソロの素晴らしい演奏のあと、クインテットも全く同じことをやろうとしてトースターをセッティングして、同じテーブルに縄跳びを置いた。
演奏が始まったらゴンゾさんが私の縄跳びをとって跳び始めた。めちゃめちゃ上手くてボクサーみたいだった。
私はパンを焼いて食べるだけとなった。
三人の気持ちいい面白いノイズ、ゴンゾさんがスタスタヒュンヒュン縄跳びを跳ぶ音、私のトーストのガチャンという音がパルルに響き渡る。客も約5名である!
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by puddingreseach | 2013-04-03 18:10

チェーン店のレビュー、ポエム、友達が言ってた事など
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