プリンリサーチ

8/100 毎日蟹たち働いてる

2003年秋
canolfanにジュリー・ドワロンを見に行く。

着いた時には一組目が終わってて、teasiの亀山さんがエントランス付近(私にとっての恐怖サロンスペース)で「ゴンゾさん良かったわー・・・」と言ってた。
村上ゴンゾさんはこの日、弾き語りをしたらしい。

二組目teasi、この頃はまだベースが森下姉妹のお姉さんで、この人は元ヨードで、しかも元流星(神谷と私が追っかけをしてた)だった。もう少ししてから森下さんはペルーへ行ってしまった。
この頃のteasiは有名なセカンド『壁新聞』もファーストも出す前だったけど既に名古屋のキャプテンだった。
ボニープリンスビリーが得三でやった時も前座はteasiで、やるたびに壮絶なライブだったから、音楽の戦法としてヨゴレだった私達にとって大きなコンプレックスだった。
「しきつめた花のいみはかれ、いみはかれ」という曲はこの日もやってたけど、見ていると、見事だなすごい良いなという気持ちと、こんちきしょうという気持ちが、生意気にも既に両方あった。

三組目asuna、オルガンのドローン、この頃は本当に最高だった。今も、いつも最高だけど、この頃のただオルガンをプーって押さえて持続させて少しずつブラすやり方は、青春というか、今より攻撃的だった。この日はお客さんが超満員だったけど、teasiでじっとりしてたのが、春風のようにファッと吹き飛んだ(ドローンなのに!)。asunaさんがこの日弾いてたオルガンはジョン(犬)の物(ジョンさんは名古屋に一台、置きオルガンをしてた)だったことを後から聞いた。

四組目ジュリー・ドワロンとウドゥン・スターズ、楽しみだったし良かったけど、あまり関係ない気がするので省略。

12月
Canolfanにテニスコーツを見に行った。

一組目スティーブジャクソン、モモジさんとヒジリさんの二人で、モモジさんがベース弾きながらラップ、ヒジリさんがヒューマンビートボックスでディレイだけ使ってた。
モモジさんは、みたはるなというバンドでセーラー服を着て叫んでるのは見たことあったけど、地声のボーカルは初めて聴いた。
すごいかっこよかったけど、とにかく当時このへんの人達には畏怖しかなかった。

二組目ぺぺ&プリマ、なんで見に行ったライブの事ばかりつらつら書いてるかというと、ひたすらインプットして悶々としてた(でも最高に楽しかった)時期から、突如として毎週のようにライブをやる様になるまでのちょうど境目がこの二回のイベント(出演者はすべて初見だった)で、特にこの日のぺぺ&プリマが、ジョンのサンを一生懸命やろうと思ったきっかけになったからだった。
この日のぺぺ&プリマは島田さんと桜木さんの二人組(ちなみに後に結婚する)で、島田さんがギターボーカル、桜木さんはドラムだった。
今でも鮮やかに3Dで覚えてるあの日の『蟹工房』という曲、電子メトロノームをピッピッピッピッと鳴らしながら島田さんの弾き語りのリズムがずれていって、ドラムの桜木さんがピッピッに合わせるのか島田さんに合わせるのかわからなくて叩きながらすごい怒ってるという仕組みの演奏で、今考えると単純だけど、パッと視界がひらけた気がした。やるしかない、やってやる、こんな気持ちを思わせられるようなバンドを僕もやりたい、見ててバンドをやめたくなる様なバンドじゃなくて、見ててバンドをやりたくなる様なバンドをやりたい、と思った。
出番を終えて客席に戻ってきた島田さんと桜木さんはまだ喧嘩をしてた。桜木さんは「ちょっとどうなっとんの、恥かかせんで」と言ってた。
帰ってぺぺ&プリマを検索してホームページを見てたら、15曲くらい入ったフルレングスアルバムのMDに100円玉をはりつけてライブ会場で配っていたという音源が紹介されていて、そのMDアルバムのタイトルが『世界中の豚から真珠を奪い取れ』だった。本当に勇気をもらえた。
このバンドに恩返しするために今までやってきたといってもいい。

三組目テニスコーツ、省略。
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# by puddingreseach | 2013-07-21 00:29

36/100 カラフルタウンにて

2007年4月21日

我友万博2007
高円寺ペンギンハウス

1マイパルフットフット+三富栄治
2パイカル
3ジョンのサン
4公園

何度目かの東京で、初めて円盤ではない場所でライブ。
ちょっと早めに着いて挨拶をして(円盤で対バンしたマイパルフットフットに誘ってもらえて最高に嬉しかった)、運転で疲れている神谷と吉川を残して1時間だけ単独行動をしようということでどこに行こうか思案したら円盤しか考えられず、せっかくちょっとだけ円盤の外に出れた日なのに律儀に円盤へ行った。
田口さんに挨拶をして、今日なんとライブなんですという報告をしてから棚を見てたら、隣で同じく物色してた若い男の2人組に
「ジョンのサンの方ですよね、今日楽しみにしてます!」
と声をかけられた。『摩天楼はバラ色に』のマイケルJフォックスの様に、私は「東京は俺のものだ」と思った。
ちなみにその時、円盤はリハ中で、私達の会話のBGMはまだ出始めの松倉如子の生歌だった。
二人の名前を聞くと、照内君と酒井君という人たちで、後にわかったことだけど、トラウマガールズというバンドをやっていた。後にわかったことだけど、酷い歌もののCDRを作ってた。「キャンタマ」という歌詞があったのは覚えてる。サケロックが無駄って言ったりスチャダラパーが暇って言ったりするのはやっぱりちゃんちゃらおかしいなと思えるほど、本当に(悪い意味で)何が楽しくてこんなバンドをやってるのかわからない、聴いていてそう思えてくるCDRだった。
それからしばらくして照内君が女に走り、酒井君がソロでやっててその歌がめちゃ良いと噂になってきた頃、初めて会ったその我友万博の日からちょうど3年後の2010年7月に、円盤で、4組とも純粋に田口さんのブッキングで、ju sei、mark、ジョンのサン、酒井己詳というライブがあった。
そしてそのちょうど3年後の2013年7月に、つぶろっくでトラウマガールズがライブをする。
酒井君のバックバンドで私を除くジョンのサンのメンバーが演奏するらしい。

ペンギンハウスに戻って、神谷くんと吉川さんに、凄いことがあった、話しかけられたと報告して二人が驚いてくれた。
本番、東京メンバーになってたasunaの嵐さんはこの日おらず、神谷、立石、吉川、という無敵の三人で演奏した。
この時期によく一曲目にやっていた「革命」という歌のアウトロで、本来「パッパラララパッパラララ」と歌うところを「マイパル万博、マイパル万博、マイカル桑名、ダイアモンドシティ、カラフルタウン、アピタ稲沢、アピタ阿久比、アピタ港、」と果てしなく歌って、アピタ阿久比あたりでお客さんがほぼ全員吹き出してくれた。でも高円寺でアピタ阿久比に言及する面白さは東京の人には50%もわからないくせに笑いやがって、という風に、この頃の私達には誰にも止められない剛さがあった。

公園のライブがかっこよかった事も、別々に東名を走ってきたものとして、本当に誇らしかった。
トリとかお客さんが多いとかそういうことで人一倍機嫌を良くする西村さんはこのライブ中ずっと躁状態で、突然「俺の歯は汚れてる!」と言ったり、突然一人でsurfin USAを弾き語り(めちゃくちゃかっこよかった)したりと、静かに深夜のガストで二人ドリンクバーのコーヒーを飲んだ仲の私にとっては余計に泣けるスターダムを見せてくれた。

熊谷くんが一人で見に来てくれていたから駅まで送った。道中しつこく熊谷くんに「公園かっこよかったよね」と確認して、当時ティーネイジャーなのに私よりはるかに大人だった熊谷くんは「ええ」「はい」「ええ」と相づちを打ってくれた。
「わたなべさんは元気ですか?」とも言ってた。
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# by puddingreseach | 2013-06-27 23:39

7/100 ファーストアルバム

2003年夏

学校の体育で『ゴルフ』を受講していた私は、その同じコマをとっていた別の学科所属の斎藤みどりさんというおばちゃん(私が通っていた大学は50代60代の生徒も多かった)と交流を持った。
みどりさんは一週目の点呼で名前を呼ばれず、履修登録漏れであることにも納得がいかなかったのか、学生証の写真を見せながら先生に猛烈に抗議した。

「これ!私です!斎藤みどりです!ほら!今日たまたま同じ服着てます!ほらUSAって!私です!何かの間違いです!斎藤で履修登録を提出しました!」

みどりさんは胸にUSAと大きく書いてあるトレーナーを着ていた。
私はみどりさんに話しかけて、友達になった。
みどりさん、そうたさん、という仲になり、よく学食で一緒にご飯を食べた。

そして、一年のフランス学科夜間コースに入学してきた油井くんという青年を主演、私と同じ学科だった菊池さんをその相手役、映画サークルOBでドイツ語の研究者だった佐野さんを主人公の勤める製紙会社の社長役、そして学校で一番フォトジェニックであったみどりさんをその妻役にそれぞれお願いし、私はひと夏をかけて、サークルの機材を借りて40分の映画を撮った。
『カレンダーをぱらり7月、ぱらり8月、爆弾ズドン』という名前の映画だった。
みどりさんに学食でその出演依頼をしたとき、みどりさんは
「いやらしいのじゃないでしょうね」
と言ったので、私は
「いやらしいのじゃないけど、綺麗に撮るよ!」
と言って、それならと、OKしてもらった。

製紙会社に営業として勤める主人公が徴兵されることになり、それを惜しんで会社の社長が食事をおごってくれた時に、もともとは気になっている女の子と行こうと思っていた野球のチケットを社長夫婦にプレゼントし、主人公は戦争に行き、社長夫婦は名古屋ドームへ野球を見に行くという映画で、終盤の定食屋での食事シーン(大須の安兵衛に飛び込みでお願いして、営業中なのに厨房にカメラを置かせてもらい登場人物4人が食事しているテーブルを撮った。テレビからは相撲中継が流れていた。)と、ラストの名古屋ドームでの野球観戦シーンはそれぞれ5分以上のワンカット長回しで、後に自分が入ることになるゼミの先生と、当時『僕の新婚旅行』のビデオが仲間内でまわって話題だった内村茂太監督にほめてもらえた。

その映画の音楽を担当したのがジョンのサンで、主にヴァセリンズのjesus doesn't want me for a sunbeamとパステルズのmandarinとラモーンズバージョンのdo you wanna dance?をインストにしたものや、劇中にみどりさんと油井くんが西郷輝彦の『星のフラメンコ』をデュエットするシーンでバックで演奏したりした。
そのサントラ+アルファで構成したのがジョンのサンのファーストアルバム『ジョンのサンのミュージックステーション』だった。
ジャケットに髪を振り乱してタクトを振る小澤征爾を起用したこのアルバムはCDRで、学祭の上映会限定で販売した。

ジョンのサンのミュージックステーション
1 do you wanna dance?
2 my bloody France Gal
3 jesus doesn't want me for a sunbeam
4 son of a gun
5 星のフラメンコ
6 大好きなシャツ
7 mandarin
8 after hours

1ラモーンズカバーインスト
2神谷と吉川の宅録でマイブラの曲とフランスギャルの曲のカバー
3ヴァセリンズカバーインスト
4ヴァセリンズカバーインスト
5西郷輝彦カバーフィーチャリング油井智明&斎藤みどり
6神谷と吉川の宅録で渡辺満里奈カバー
7パステルズカバーインスト
8ヴェルヴェッツカバー(一番のボーカル吉川タッカー英理子、二番のボーカル吉川のおばあちゃん、ギター吉川父)
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# by puddingreseach | 2013-05-25 00:13

6/100 デビュー

2003年夏
中京大学の学生達が主催したコンサートが今池の芸音(キノシタホールの地下)で行われ、ジョンのサンは欣司のコネで出させてもらった。
一年間練習してとうとう人前で演奏することになったので、私達は吉川家近くのガストで曲順を考えて、最初で最後になるかも知れないライブをどうやればいいか話し合った。
ちなみに私達はこのころから何かある度にこのガスト香久山店で話し合いをするようになり、紙ナプキンに色々なアイデアを書いて持ち帰った。スタジオに何回入っても進歩しなかったのにガストに行くと一気に動き出したりした。
また、ある若い男性店員の接客があまりに良かったため、テーブルを離れるとき紙ナプキンに応援メッセージを書き置きして、店の外からみんなでリアクションをこっそり見たのもこの頃だった。手紙に気付き皿を片付ける手が止まった時はワクワクした。そんな行いをしてる時も私達はあくまで下衆だったので、追伸で店長の悪口を書いて、ですよね?という風に同意を求めた。こうすることでこの手紙がバックヤードでこの店員さんの成功事例として公式に共有されることが回避され、手紙を宛先にだけ届けることができた。

この時の話し合いで決まったことは主に2つだった。
ノルマなどが無いし演奏にも自信が無いから、貢献するために友達をなるべく多く呼ぶこと。
ライブというものを履き違えてる人達みたいにするために4人ともが親を呼ぶこと。
私達は一出演者に過ぎなかったけど、このイベントを「ジョンのサンの授業参観」と名付け、舞台上手にそのように毛筆で縦書きしためくりを置いた。

私達の友人や家族で会場がいい感じに埋まった。
私の祖母は大きなつばつきの帽子に花柄のワンピース、ベージュのズックで登場した。
メロコアのバンドが主催だと聞いたけどその人達はトリで、一組めと二組めは皆スーツでビジュアル系のバンドだった。
私達は演奏後、オリジナルのポケットティッシュを配り、自作のTシャツを販売した。
曲はコピーばかりだった。
私の父は、「君達が一番クレバーだったね」と言った。
その日からまた半年間queに通って、誰にも見てもらわずに4人だけで過ごした。
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# by puddingreseach | 2013-04-28 17:12

4/100 もう一人の縮毛

2003年1月

バイトしてた大須の古着屋(名物屋と向かいの昭和ストアー、この日は名物屋)の閉店時間、掃除をすませてシャッターを閉める。店でネコを数匹飼っているから、ネコが挟まってふぎゃらないように、ゆっくりガラガラ下りてくるシャッターを最後まで近くで見とくのがルールだった。
目の高さやや下くらいまでシャッターが下りた時に、自転車をひいてカメラを首から下げた女の子がこっちを見てた。この人はまだ店を見たいのかと思った私はシャッターを止めて、どうしました?と聞いた。
私はその人に、映画が好きかどうかを聞かれて、半閉まりの店からいったん外に出るよう頼まれ、焼きうどんを食べる真似をしてくれと頼まれ、カメラをまわされ、焼きうどんをおいしそうに食べる真似をして、こうですか?こうですか?と聞いた。
その人は、ハハッ!いいですねー!とすごい喜んでくれて、いま映画の学校に行っててそこの授業で映画を撮るための場所と人を探していることを教えてくれて、古賀と申します、と自己紹介した。私は連絡先を教えて、古賀さんはその夜のうちにスタッフの浅田君(のちのセンチュリーシネマ店長)、山本さんに相談したあと、私に「あなたに決まりました」と連絡をくれた。

その冬のあいだに映画「留守番電話の恋」は16mmフィルムで撮影された。古賀さんのマイペースな監督っぷりと急に妥協のない演出、毎朝吐血してから現場にくる撮影の浅田君のがんばりにすっかり感銘をうけた私は、演技はできないけど、とにかく気を使わせないように、なんでも協力するよという顔をしたり、構図がなかなか決まらない時などは短時間でもぐっすり寝て待って、ありがとう、おかげで寝れたよという顔をするなどした。
私は黒いトックリを着て、髪型は黒いマッシュルームだった(よくわからないけど男友達からはブチャラティーといわれてた)のだけど、その映画の役は喋る黒電話だった。
映画が完成に近づくころに、古賀さんが題字を良いフォントにしたいけど誰かいないかと相談してきたので、最高の人がいるよと吉川さんを紹介した。
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# by puddingreseach | 2013-04-20 22:09

チェーン店のレビュー、ポエム、友達が言ってた事など
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